2004年5月分

5月31日
いよいよ5月も今日で最後。今日はものすごい雨でした。午前中練習、午後4時から7時まで日本音楽家ユニオン中四国地方本部にて労働条件対策専門部会議。

私はどんなパソコンが欲しいのか。それは持ち歩けるメインマシンです。現状では2倍速と遅くても仕方がない、とにかくDVDを焼くところまではしたい。もちろん内蔵で。大画面に大きくて打ちやすいキーボードがあればさらにうれしい。重量はできれば1.5キロ以下。そういう意味で、レッツノートY2は理想的でした。画面が暗いのは何とも惜しい。W2も候補。マイレッツ倶楽部で買えば、あの耐えがたいキーボードではなく白くて美しいキーボードにすることができる。DVDマルチでありながら驚くほど軽くて小さい。でもキーボードの打ち心地自体は同じだそうな。届いてみないと打ち心地が分からないのはつらい。とある専門家の方に、ノート買うならレッツノートかダイナブックがいいよと言われて東芝も調べてみたけど、私の欲しいジャンルなし。ソニーは今回デザインを一新。その中ではタイプSか。13.3型ワイド液晶。画面が大きくなるのはうれしいが、ワイドが必要かどうか。vaioはキーボードが気に入らないことが多い。バイオZも、ようやく最近最高機種で何とか耐えうるキーボードになった。実際に物を見ずに買うということは考えられない。店頭にはいつ並ぶだろうか。

5月30日
今日は家族向けコンサート2回本番。その後デオデオへ。やはりレッツノートY2は暗い!明るさを最大にしても文字が暗くて見にくい。非常に気に入っている機種だけにこれはショックです。W2は問題ない。しばらく悩みそう。帰ってからはリガチャーがメッキ屋さんから返ってきたので梱包、メールなどの作業が12時まで。また寝られないかな。ついついやってしまうんだな、これが。しかし私は仕事に、プライベートに、パソコンを猛烈に使います。このパソコンも何だかんだといいながら使いつづけて4年半。4年半前までパソコンをやっていなかったとは信じられない。キーボードも打ちすぎでおかしくなってきました。

5月29日
広島に移動しました。疲れました。明日はこども文化科学館で2回本番です。
久しぶりにパソコン雑誌を読んだら、300万画素の携帯電話は出てるし、新しいパソコンは一杯出てるし、正にドッグ・イヤーですね。私が理想とするレッツノートY2と同じかそれ以上の性能のパソコンが、重くてよければ19万円程度で手に入るのですね。軽くするのに14万円というのはあまりにも高い。軽くするというのはそんなに大変なのでしょうか?しかし14.1インチSXGA+で1499g、バッテリー7時間、DVDマルチというのは確かにすごい。ちょっと今時間がありませんが、明日以降たくさん出ている他のパソコンと比較検討して最終決定したいと思っています。

5月28日
ウォーキングの調子がやたらといい。重りをつけて500メートル4分36秒が最高。他も4分40秒前後。これは昨日ウォーキングしなかったせいだ。渋谷や池袋を重いリュックを背負って歩き回ったのでそれなりの運動をしたつもりだったが、やはり重りをつけたウォーキングとは全く違うようだ。結果を出したい時は、トレーニングを続けて、そして前日は休むのがよいようです。

5月27日
午前中渋谷のアクタスで依頼のあったマウスピース選定。
帰りにビックカメラに寄る。昨日価格.comの掲示板に気になる書き込みがあり、確認しに行きました。レッツノートY2は画面が暗い。言われてみると確かに暗い。DVDの鑑賞を主要目的にする人は、ピカピカ液晶ワイド画面の明るいパソコンにすべきでしょう。私は打つのがメインですので、ピカピカでは困ります。持ち歩くので軽くないといけない。元々画面は多少暗くして使っていたのでそれほど問題はない。しかしちょっと気になります。

今日もメシアンを練習。この音列、この和声は一体どこから出てくるのか。頭の中が見てみたい。その驚くほどの個性的な音楽が体や無意識を強烈に刺激する。ゾクゾクするような快感、恍惚。そして突然無意識の中に入り込み、心を瞬時に宇宙へと連れ去る。

リガチャーの注文への返事などで今日も12時頃まで。これじゃ寝られる訳がないよなあ。という訳でただいまウィスキーを飲んでいます。つまみはアーモンドフィッシュ。何て美味いんだ!しかしよく見ると、この小魚一匹一匹が生きていたのだ。私は何と罪深い存在なのか。これまで一体どれほどの命をもらって生きてきたことか。とりあえず皆さん、生きていくために必要な漁は仕方がないとして、楽しみとしての釣りというのは止めませんか?食べるならまだしも、格闘の末釣った魚をそのまま逃がすとは。必死で抵抗し疲れ果てた魚がぷかぷかと浮いて死んでいます。趣味の狩猟はもちろん論外。ただし捕鯨反対というのはおかしい。牛も高等哺乳類です。そういうことを言う人は、全ての命を食べるということを止めて飢え死にしてください。植物だって必死に生きているのです。「鯨は頭がいいしかわいいけど、牛はただの食べ物です。」なんて、知能の低い人間の発言としか思えない。こういう発言を正気でしている人は、自分の頭がいかにおかしいか、たまには考えてみよう。まあ無理だろうが。

購入者の声
<アルトサックス用金メッキをご購入の方より>
音がとても楽に出、抜けが良いとかんじました。それに、音色もつやがあり太い感じがします。リードが自由になっているようで、楽器と上手く調和して鳴っているようです。とてもびっくりしてます。ありがとうございます。

<テナーサックス用ピンクゴールド1.8mmと2mmをご購入の方より>
1.8mm とにかく音が柔らかくて楽に吹くことが出来ます。
2mm 1.8mmに比べると吹き心地がやや重く、響きが少ない感じです。
自分の好みで言えば1.8mmの方が合ってるかなという感じです。
息が入りやすくて楽に鳴らせるのですがピンクゴールドメッキのせいでしょうか、最近まで使っていたリガチャー(ヤナギサワ製魔法のリガちゃん、BGトラディション 共に金メッキ仕様)と比べて音質がガラッと違って、少し違和感があります。もっと吹き込んでいけばイメージが変わるかもしれませんが…しばらくは1.8mmをメインに使ってみて、違和感が消えないようだったら金メッキ仕様を試してみたいので、また注文させていただきます。
マウスピースキャップは、これまた以前使っていたロブナーのエディ・ダニエルズモデルのテナー用リガチャーに付属していたキャップがジャストフィットしました。

5月26日
メシアンの続き。留学中、凱旋門のすぐ近くにある日本大使館の広間で世の終わりのための四重奏曲を聴いた。クラリネットは生島さん。クラリネットソロのAbime des Oiseauxでリードが壊れた。生島さんは「リードが壊れました。これはとても珍しいことです。」といって一度下がり、リードを交換して再び登場、もう一度その曲を最初から演奏した。確かリードが壊れた個所はピアニシモからフォルティシモまでの長いクレッシェンド。確かにこの曲は、演奏者だけでなくリードにも極度の負担を強いる。こういう、何かショッキングなことは記憶にずっと残りますね。
もう一つ。メシアンの講習会のビデオがあります。そこでメシアンは、和音を聴くと色が見えると言って、ピアノで和音を次々と弾きながら、これは何色、これは何色と言っていきます。これが彼個人に起こる特別な現象であるということは彼も認識していたようです。それから自作の楽譜の間違いについて。この音がナチュラルなんてありえない。♭だと言いながらピアノを弾く。確かに言われてみればそのような気もするが、凡人にこの音は間違いだと言い切るのは無理でしょう。

メシアン 世の終わりのための四重奏曲 CD Cl:ミッシェル・アリニヨン他
1987年の録音。私が留学する1年前。アリニヨン先生は1948年生まれ。ということは39歳の時の録音。何と今の私と同い年ではないか!肉体的にも精神的にも全盛期と言えます。同い年とはいえ、まだまだ学ぶべき事がたくさんあります。アリニヨン先生はこれ以上は考えられないというほどすばらしいですが、他の3人がもう少しよければいいのに。残念です。メシアンといえば敬虔なカトリック信者。そして鳥の鳴き声の収集者。メシアンは鳥の鳴き声を忠実に採譜するのではなく、そのイメージをいくつか楽譜に書き、その中からよいものを取ったそうな。本人の話です。この曲にもいくつかの鳴き声が出てきます。私にとっては、彼の感じる神や聖書の世界=宇宙です。広大な宇宙、人間には想像もつかないような長い時の流れ。「世の終わりのための」と訳されていますが、Tempsは時。天使が、「ここで時が終わります。」と告げる。確かに時が終わるということは即ち世が終わるということ。果たしてこの宇宙に、無限や永遠というものは存在するのだろうか?この宇宙は無数にある宇宙の中の一つにすぎないという理論が最近主流になっています。他の宇宙から派生したそうな。それでは全ての宇宙の中で最初に存在した宇宙、その始まりはあるのか?全ての宇宙に終わりはあるのか?その答えを知ることがないまま、私は死ななければならないのか?この疑問はつまり、なぜ私は神ではないのか?ということか。まあ何億年でも生きたいと思うぐらいのやつだからな。

5月25日
久しぶりにさらわなければならない曲がない。毎年春、業務が暇な時期にこの現象が起こる。仕事から離れた曲をじっくりとさらいこむチャンス。おとといからフランセのクラリネット五重奏曲。軽い味わいのなかなかの曲です。今日はメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」を出してみた。留学中、メシアンの奥さん、イヴォンヌ・ロリオ(ピアニスト)のクラスの発表会を聴きに行ったら、そこにメシアンも来ていた。世の終わりのための四重奏曲から抜粋をパリ音楽院を卒業した若手が演奏。これが実にひどい、アンサンブルも何もないような演奏だったが、どういう訳かメシアンはえらく喜んでいた。これが1990年の話。メシアンが亡くなったのは1992年、83歳。ということは私が見たメシアンは81歳。実際に会ったことがある人の死は、映像だけで見る人の死とは全く感覚が違う。今日楽譜を出してメシアンが死んだことを思い出し、背筋が寒くなった。この曲がまた、生と死の狭間を、死の方に一歩踏み出したような曲だ。第2次世界大戦中ドイツ軍の捕虜となり、収容所で書かれ、そこで初演された。以前音楽の友のアンケートに、20世紀の名曲ということで推薦した。どうせ少数意見だと思っていたら、何とかなり上位にあってびっくりした。この曲は20世紀を代表する名曲として、一般に認知されているようだ。とてつもない延々とした、まるで神の領域にあるかのような曲を人間が演奏しなければならないという点で、この曲の演奏は演奏者にかなりの精神的、そして肉体的負担を強いる。しかし一度は全曲やってみたい曲です。

購入者の声
<ソプラノサックス用金メッキをご購入の方より>
音の感じがレイキーのラバーのソプラノで柔らかいけど柔らかすぎず、良い感じででてきます。もうすこし、いろいろなマウスピースでテストしようと思ってます。有り難うございました。

<サックス用オーダーメイドをご購入の方より>
ピンクゴールドのおかげでしょうか、適度な抵抗感と深みのある音です。それでいて楽に吹くことができ、よく鳴ります。何より息の入りがスムーズですね。(息がとられる、持って行かれるというわけではない)ダイナミックレンジがさらに広がりました。ともかく、良いものをありがとうございました。

5月24日
昨日の山陰本線は延々と美しい川と交わったり離れたり。丁度田植えの季節、田んぼに水が張られ、日曜日ということもあって田植えをする人の姿も多数。私の席の前には外国人観光客の団体。皆さん、いい旅してますね。日本が最も日本的かつ美しい季節です。豊かな川の流れ、溢れる緑。JRで正解でした。

購入者の声
<アルトサックス用をオーダーメイドの2mmなど多数ご購入の方より>
1:1.8mm
 ピンクゴールド:華やかですがしっとりした感じで、とても良くリードが振動している感じです。
 金:しっとり感はあまりなく、かなり派手な感じで、ピンクゴールド以上にリードが振動している感じです。
 ロジウム:ニュートラルな音質、華やかさ派手さはありません。金と同じ位リードが振動している感じです。
2:2.0mm:共通:1.8mmよりも鳴らすのにエネルギーが必要です。その分コントロールし易い様に感じますが、疲れます。
ピンクゴールド:音質は1.8mmと同様。リードの振動は、1.8mmよりややおとなしい感じです。
 金:音質は1.8mmと同様。リードの振動は、1.8mmよりややおとなしい感じです。
 ロジウム:音質は1.8mmと同様。リードの振動は、1.8mmよりややおとなしい感じです。
1.8mm金、1.8mmピンクゴールド、2.0mm金を使い分けようと思います。
特に1.8mm金の派手さが気に入りました。でもアンサンブルは、1.8mmピンクゴールドか2.0mm金を使わないと浮くかも知れません。初めに1.8mmピンクゴールドを試奏した時にリードが鳴りすぎると思ったのですが、逆にコントロールできるとダイナミックレンジが広がる様な気がします。

5月23日
今山陰本線で岡山に向かっています。日本海を見ながら、情緒ある単線の旅です。

昨日は高速バスで松江に移動。広島から所要時間3時間15分。バスは酔うため本も読めませんが、そうするととても暇です。

夜山陰フィル木管セクションの指導。一人を除いて皆さん人柄もよく、かなりレベルの高い演奏を聴かせていただきました。しかしその一人というのがすごい。これほどひどい人格の人間に出会ったのは久しぶり。和声、バランス、曲想、音色など何も理解していないにも関わらず、注意すると執拗に反論する。その反論も、オーケストラの基本を全く理解していないため的外れというよりも理解不能。そういえばこういうの、いたな。野村監督の奥さん。自分はまるで偉くないのに勘違いして怒鳴り散らす。あれと一緒です。楽しみでやっているはずの団体にこういう人がいて周りのストレスになる。これは最悪です。みんなで話をして、なるべく早く辞めてもらった方がよいと思います。彼女が何を理解していないか、具体的に一つ例を出してみましょう。第三音。長三和音の第三音はピッチを僅かに低めにとる。これは音楽をやる人にとって常識ですが、これ自体もあまり理解していない様子。ひょっとしたら理論としては知っているのかもしれないが。第三音の演奏については、他にも、他の音よりも若干弱めにする、溶けやすい音色で主張しすぎないなどの常識があります。上手なピアニストは第三音を若干弱めに弾きます。ピアノというのは、速いスピードで弾くとピッチが若干高めに、遅いスピードで弾くとピッチが若干低めになります。平均律のピアノで、まるで純正律であるかのように演奏することは可能なのです。それについて指導しても、「私じゃなくて周りが合ってないんじゃないの?」だって。プレーヤーとしても最低ですが、それ以前に人間として最低です。

終了後、交流会。こちらは非常に楽しかった。多摩という魚料理のお店。「のどぐろ」という高級魚を塩焼きで。身は柔らかく、味わい深い。「どろえび」。これも塩焼きで頭から。味が濃い。焼酎は入手困難な「佐藤」。鹿児島の焼酎で薩摩芋などで作られています。薩摩芋の甘味に高級感あり。二次会で2時過ぎまで。皆さん、ありがとうございました。

5月22日
オール・ブラームス・プログラム、無事本番を終えました。フェニックスホールは9割ぐらいのお客さん。これは前橋汀子さんのネームバリューのおかげでしょう。前橋さんは、まるで金属のミュートをつけたように鳴らない。その上にさらに力むと弓を押し付けて鳴らなくなる。最も鳴るグルーズマンあたりと比べると音量は3分の1ぐらいか。テクニック的にあやしいところもある。しかし非常に情熱的で、音楽にも様々な表情、魅力がある。お客さんも満足されていたようですが、確かに他に代えがたい魅力を持った人だと言えます。
後半は交響曲第1番。本番のみ本気になれます。いつも本気では体が持ちません。しかしリードが壊れてしまうので、実際には8割程度の力。もう少し厚めのリードをつけて10割の力で吹いてもいいが、そうすると死にそうになるでしょう。今回も結構しんどかった。オーケストラの全員が、一人一人鳴り切った時の快感はたまりません。しかし精神の高揚と開放、一人一人の楽器が鳴りきるという面では、広響はまだまだ向上の余地があると思います。鳴らない人に合わせるような砂を噛むような演奏は決してしてはなりません。全員がもっと鳴りきることが必要です。しかし、いつものように多少おとなしめではありますが、完成度の高い、いい演奏でした。
終了後はたまや。広響メンバーで貸し切りでした。日フィルヴァイオリンの斉藤さん、フルートの川人さんがゲスト。このお二人、たまやは初体験ということで、フルコースで楽しんでもらいました。初体験の人の驚いたり喜んだりして食べる様子を見ながら一緒に食べると料理がさらにおいしくなります。何度来ても毎回たくさんの感動があるたまやはやはりすごい!斉藤さんがおっしゃっていましたが、広島の聴衆は温かい。自分達が広島の文化である広響を支えるのだという意思を感じます。そして、そのこと自体が広島のすばらしい文化です。

5月21日
これから本番です。

昨日の「電池が切れるまで」。ターミナルケアは訳すと終末医療。このような退院もあるのか。その子の命があと僅かしかないと知りながら、将来の夢や希望を一緒に語り笑顔で接しなければならない大人の辛さ。

5月20日
リハーサル3日目。明日本番です。

最近お客さんを前にしないと本気になれない私。

体がかなりしんどい。思考力も低下。これはやはりブラームスのせいか。特に交響曲第1番はいい加減に吹くことを許さない。以前本番で本気で吹いたら、苦しくて死ぬかと思った。

エベレスト山頂を目指す人が必ず頼むのがシェルパ。このシェルパは、エベレスト登頂回数が3,4回の人がよいそうだ。それは、それ以上の回数になると油断してしまうからだそうな。経験もある程度まではよい作用をし、そこから先は悪い作用をする場合もある。ここに人間が個体として死ななければならない理由がある。歳を取ると新しいことに挑む意欲が失せる。また、環境や状況の変化に対応できない。そんな人間ばかりでは人類は滅亡してしまう。滅亡しては存在のしようがない。だから個体は柔軟に環境や状況の変化に対応できるよう、常に新しいものと入れ替わらなければならない。老化や死には様々な要因があるが、私は上記の理由により遺伝子にプログラムされているのではないかと思う。今日ブラームスを演奏していて、慣れている自分に気がついた。常に新しいことに挑戦する意欲を持ち、感動する心を忘れずに生きていきたい。

5月19日
39歳2日目。リハーサル2日目でもあります。午後のリハーサルがやたらと眠く、つまらないちょっとしたミスをしてしまった。これは睡眠不足が原因。といっても昨日は12時過ぎに寝て今朝は7時50分起床。私にはどうしても8時間の睡眠が必要です。短くても平気な人がうらやましい。もう一つの原因は昨日のお酒。昨日はそれほど飲みすぎてはいないものの、私はお酒を飲むと睡眠障害がひどく、それが原因で家ではあまり飲まないようにしています。

5月18日
ついに39歳の誕生日です。ディスカバリー・ブラームスのリハーサル後仲間が祝ってくれました。歳を取るということは悲しいものがありますが、祝ってくれる仲間がいるというのはうれしいことです。

購入者の声
<B♭クラリネット用ピンクゴールドをご購入の方より>
取り付けるのに結構時間がかかってしまいました。写真と見比べたりしながら、これでいいのかな?と思いながらとりつけました。シンプルな構造なのに、すごくしっかりリードをホールドしてくれるんですね。びっくりしました。無駄がないというかなんというか。初めてのものなので、恐る恐る吹いてみたんですけど、自分でいうのもなんですが、素直な音がします。今まではクランポンのリガチャーを使っておりまして、一応そのリガチャーで鳴りが良いものを選んではおいたんですが、もう全然ちがいます。「リードが鳴っているぞ!」という感じがします。今ちょっと興奮状態でメールを書いているので文章がなんだか変ですね。
音がポンっと簡単に出る分、自分の下手な部分もわかりやすくなるんですけど、いままでそれを無理やり隠そうとしていたなあと思います。ほんとうに良いものをありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。


5月17日
昨日の「火の鳥」。人を殺した罪により、火の鳥の羽で病気や怪我をした人を助けつづけ、そして30年ごとに自分に殺される。それをいつ許されるとも知らず延々と続ける。輪廻転生というのは実際にはないが、人をぞっとさせたという点で今回の「火の鳥」はよく出来ていた。

明日は誕生日。39歳になります。こちらもぞっとする話。きっと何かの間違いでしょう。

久しぶりの登山。といっても今朝までの大雨、曇り空と条件が悪く、しかも時間もないため、近所の日浦山西峰、登って降りて1時間のコース。予想通り限界まで水分を含んだ土、濡れて滑りやすい落ち葉。草木の葉が登山道を消し去ろうとしている。元々70歳を超える老人がボランティアで一人で切り開いた道。管理しろというのも酷な話。まるで自分もこのまま土に還り草木の養分になるのではないかと思える。普段は聴こえない川の流れる音。山にも季節により、時間により、天気によって様々な表情がある。例えば午前と午後でも山の表情は全く違う。蜘蛛の巣を大分たくさん壊してしまった。そこを通りたいというのは私の都合。そこに巣を張りたいというのは蜘蛛も都合。お互い自分の都合で生きているだけ。力が強い私が蜘蛛の巣を壊したということ。蜘蛛にしてみれば私は家を踏み潰す巨人だ。帰りの道路で車が通り過ぎるのを待っていて思った。なぜ私が車が通り過ぎるのを待たなければならないのか。車が歩行者である私を待つべきではないか。要は力関係。ぶつかって怪我をしたり死んだりするのは歩行者である私。車の方が力が強い。だから私は待っているのだ。

チャイコフスキー作曲 交響曲第5番 バーンスタイン指揮 ボストン交響楽団 1974年 ビデオ
ボストン交響楽団は思ったよりもずっといい演奏。同じ時期のニューヨーク・フィルよりは大分うまい。バーンスタインはやはり時代がかっていたり、意見の違いは多々あるものの、全体に活気に溢れた名演。特に第4楽章は早いテンポでぐいぐいと聴く側を引き込んでいく。

5月16日
昨日の弦楽五重奏の演奏会はすばらしかった!みんな定期のリハーサルの後毎日3時間もよく合わせをしたね。お疲れ様でした。ヘンリック・シェーファーのヴィオラはやはりすごかった!最初はチェロの音と間違い、16分音符のフォルテの刻みはあまりに凄くて笑ってしまい、ブルックナーではその存在感、巨大さに圧倒されました。さすが元ベルリン・フィル。これでトゥッティですからね。ベルリン・フィルはこんなのが並んでいるんですよ。そりゃすごい音が出ますって。

ファリャ作曲 バレエ音楽「三角帽子」全曲 デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 1981年録音 CD
久しぶりに聴きましたが、やはり素晴らしい名曲です。特に終幕の踊り!これほど人を興奮させる曲があるとは。精神が高揚し、肉体が沸き立ちます。デュトワもモントリオール交響楽団もすばらしい!人間というのは体があってはじめて成立するものだなと実感させる曲です。

オットリンク用リガチャーをテストをお願いしていた方から、使用上全く問題ないというコメントを頂き一安心。上部の出っ張りが気になっていたのですが、どうやら大丈夫なようです。

5月15日
ブラームス 交響曲第1番 バーンスタイン指揮 ウィーン・フィル 1981年 ビデオ
ビデオというのは情報。情報というのは変わらない。変わるのは人だ。十数年前に死んだバーンスタインが、ビデオの中では熱演している。そして私も以前とは違う。以前はこの演奏が唯一絶対のものだと思っていたが、今はそうでもない。時代がかったように感じたり、遅すぎると感じたり。明らかにずれているところも数ヶ所ある。プリンツも以前は神のような存在だと思っていたが、今ではピッチが高いのが気になったり。しかしこれが名演であることに変わりはない。そしてたかがビデオだ。これを実際に聴いたらどんなに興奮したことだろう。生演奏というのはその瞬間しか存在しない。そしてそれはCDやビデオとは明らかに違う。それは時の共有であり、感動の共有であり、その場の空気の共有だ。

5月14日
これから広響定期演奏会本番です。実はリハーサル会場であるオーケストラ等練習場は、響きで音が曖昧になり、また時差がかなりありアンサンブルが難しいという面がある。昨日のばらつきの原因にこの要素が占める割合はかなり高い。今日はそれほど響かない多目的ホールである厚生年金会館だが、音がクリアに聴こえる、時差が少ないという点でオーケストラ等練習場よりはかなりまし。アンサンブルも大分よくなるのではないかと期待しています。理想を言えば演奏会会場でリハーサルするのがベストですが。もっと理想を言えば、オーケストラ専用(広響専用でなくていいから)ホールが広島市中心部に一つぐらいあっていいと思います。

今朝髭を剃っていて思った。私は毎朝自分の髭を大量虐殺している。

人間ボーっとする時間も大事ですね。特に夜寝る前。新聞を読む暇もなく夜中までリガチャーを製作していると体も心もこわばってしまう。おかげで寝られなくなり、再び起きて寝酒を飲んでしまった。せめて寝る前の1時間ぐらいはぼーっとしよう。

アステール前の郵便局でいつものようにリガチャーを発送しようとしたら、職員の女性の方に、「広響の高尾さんですね?ホームページ拝見しています。」と言われてびっくり!

本番を終えて帰ってきました。
今日はすばらしい演奏会でした。前半のベートーヴェンはかなり完成度が高く溌剌とした名演。後半のブルックナーは、多少の傷はあるものの、全体として音楽が生き生きとしていて、ブルックナーの楽譜に命が与えられていました。お客さんも、前半ですら指揮者を何度も呼び出し、かなり満足されていたようです。やはりシェーファー氏の指揮はすばらしいということでしょう。演奏会の最後、オーケストラは彼に3度も拍手をしました。人柄もいいです。そして、本番でシェーファー氏の音楽に応え、リハーサルとは見違えるほどの演奏をした広響も、自分は置いておいてともかくすばらしい!ブルックナーの終楽章いちばん最後、金管のファンファーレで、私は感動して涙が出そうになりました。

金管楽器はいつも、生きている!生きている!私は生きている!我々は生きている!と叫んでいます。私にはそう感じられます。実は私は昨年暮頃、自分がいずれ死ぬということについてノイローゼー気味になっていました。その時に金管のこの「生きている!」という咆哮にものすごい違和感を感じました。今はそれが快感と感じることもあります。人間というのは変化するものです。考え方も常に変化します。例えば私の場合、酒はどう考えても毒でしかないと思う時もあれば、体を活性化していい面もあると考える時もあります。赤ん坊の時の自分と今の自分が同じ自分であるはずがない。今の自分と年老いた自分についてもそうだ。世は移ろいやすい。そして自分自身も移ろいやすい存在です。

5月13日
リハーサル最終日。結構疲れてきました。全体としてはいい演奏だと思いますが、何ヶ所かばらけるところがあります。これは指揮が大まかなせいですが、これぐらいでばらけるようでは力不足。広響もまだまだ向上しなければなりません。前の人に頼ったり、探ったりではなく、もっと各々が予測し、テンポ感を持ち、それがオーケストラとして一つにならなければなりません。シェーファー氏のあの指揮でベルリン・フィルは当然完璧なアンサンブルをするでしょう。

去年の暮れ頃から、生きるということ、死ぬということについてよく考えるようになりました。その一環として、イラクでのアメリカ人男性殺害の映像も見るべきではないかと思い、ここをクリックすればそのサイトに行くというところまで行きましたが、やはり見ることができません。そのサイトを紹介している記事によると、やはり残虐極まりない映像のようです。若くして首をナイフで切り落とされ、断末魔の悲鳴を上げて死ぬ。これは最悪です。「戦場のピアニスト」に出てくる、腹這いにさせられ後頭部を打ち抜かれて死ぬ死に方の方が随分ましに思えるほどです。できれば痛い思いをして死にたくない。交通事故は嫌だ。でもその可能性はないとは言えない。道を歩いていて後ろから来た車にはねられる可能性もゼロとは言えない。なるべく平穏に生きられるよう祈るしかないか。

「電池が切れるまで」 ドラマの最後に「旅行」という詩。これはたまらない。この、退院した後の旅行が楽しみで仕方がないという詩は、実際にドラマと同じように助かる見込みがない子供が書いた詩だろうか。そうだとしたらあまりにも酷い。

ジャズサキソフォン奏者岡崎さんが、渡辺貞夫さんに私のリガチャーをプレゼントされたそうです。さて渡辺さんの反応や如何に?
http://www4.diary.ne.jp/user/426866/

購入者の声
(気に入っていただけるとほんとにうれしいですね。)
<アルトサックス用ピンクゴールドと、ソプラノサックス用ピンクゴールドをご購入の方より>
今日、バンドの練習があり、早速リガチャー使ってみました。最高です!!リガチャー一つでこんなに変わるものかとホントに驚いてます。まず、吹くのが非常に楽です。どなたかの感想にもありましたが、入れた息が無駄なく音になってる感じがしました。ppからffまでダイナミクスのコントロールがすごく楽になりました。特にppの時の音の出だしやコントロールが非常にやりやすいです。音も低音から高音までムラ無くなりますし、ピッチも取りやすくなりました。今まで、いろいろなリガチャーを試しましたが、お世辞抜きでこれ以上のものは無いんではないかと思います。今回送ってもらったものが、ヘタったらまた注文しますので、ぜひこのリガチャーの製作を続けていっていただきたいなと思ってます。また、私の所属する吹奏楽団のクラ&サックス奏者にこのリガチャーを勧めたいと思ってますがよろしいですか?できれば、まとめていくつか注文したいと思います。でも、あまり広めると本業の演奏活動に支障がでますかね・・・(^^;

5月12日
リハーサル2日目。一コマ目はブルックナーの第2、第1楽章。名曲です。特に第2楽章。宇宙、自然、人、神、信仰、祈り、森、農民の素朴さ朴訥さ、悲しみ、悼む心。様々なことが感じ取れます。2コマ目からはベートーヴェン。オーストリアとドイツ、近くて同じ言葉をしゃべる人達なのに、随分個性が違います。第1楽章は若さ、溌剌さ。私が好きなのは第2楽章。こちらは人として生きる喜び、そして慈しむ心が感じられます。

気が向いたので海田市駅から歩いて帰ってみました。河川内のウォーキングコース。ダブルケースなどの入ったリュックを背負って35分。なかなか適度な負荷で気持ちよかった。

「日々回復不能」これは養老猛司の言葉。今日という日は二度と来ない。今日やったことを後でやり直すことも不可能。
「我有り、故に我思う」これは私の言葉。君は宇宙が誕生してから生まれるまで150億年間何も考えていないじゃないか。当たり前だけど。
「ない死体」これは養老猛司の言葉。自分の死体は自分にとって存在しない。存在しないものを思い悩んでも無駄だ。
「ない時間」これは私の言葉。自分が生まれる前や死んだ後の時間は、自分にとって存在しない。それは生きている間に想像するだけの時間だ。実際に存在しない時間についてあれこれ思い悩んでも仕方ない。

購入者の声
<ヤナギサワ用オーダーメイド、ピンクゴールド4巻きをご購入の方より>
本日、リガチャーが届きました。ソプラノ用よりも音が太くなり、音量も増しました。すばらしい出来ばえ、どうもありがとうございました。

<デュコフ・アルトメタル用ピンクゴールドとアルトサックス用ピンクゴールドをご購入の方より>
本日商品届きました。 有難うゴザイマス。アルトメタル用 良いですね〜〜。今までデュコフを遠慮がちに吹いていたのが、気兼ねなく力を入れられます。 (^^)v30%パワーアップです。
アルト ハードラヴァー用ですが、少し気になったのが、『ん?長い?』メイヤー5MMに付けたのですが、一巻き余ります。これきっとセルマー用ですね?一巻き分、切っちゃおうと思います。けれど音色の点で大きな改善が見られます。現代版メイヤーは昔の物に比べ、昔の物に音が少し明るいのですが、コレを使うと音が柔らかくなります。ご機嫌です。
なんにしろ、良い物をどうも有難うございました。<m(__)m>
(製作者注:高さが高い場合は、ペチャンと潰せば多少低くなります。現在通常のサックス用のリガチャーは全てセルマーのマウスピースに合わせて製作していますが、マウスピースをお送りいただければ、オーダーメイドでそれに合わせて製作することもできます。)

5月11日
広響定期演奏会リハーサル初日。今日はブルックナーの交響曲第3番のみ。指揮のヘンリック・シェーファーは元ベルリン・フィルのヴィオラ奏者。あの大きい体で大きいヴィオラを弾いたらすごい音が出そうです。彼のヴィオラは5月15日夜6時半からアステールプラザ・オーケストラ等練習場でのコンサートで聴くことができます。私も聴きに行く予定で、楽しみにしています。彼の指揮はこの曲への敬愛に満ちています。いい演奏会になりそうです。ベーム指揮ウィーン・フィルのCDは、それしかなかったという安易な理由で買ったのが失敗だった。実際にどうかは分かりませんが、指揮者がこの曲を駄作だと思って指揮をしているかのような演奏です。今回はあのCDよりは大分いい演奏になるでしょう。ただ、何度も繰り返しリハーサルするので、結構体はしんどいです。

先日8日の室内楽の演奏会を聴きに来て下さったとある方からとっても誉められてうれしいので掲載します。
「なにより高尾さん達の演奏には、本当に感動しました。これほど感動したのは、地元で聴いた、ベルリンフィルの主席ホルン奏者になったバボラクのコンサート以来です。これまでいろいろなクラリネットの演奏を聴いてきましたが今までで一番圧倒されました。まさに高尾さんの演奏は自分の目標です。」

5月10日
広島に移動しました。明日から広響定期リハーサルです。今回はベートーヴェンの交響曲第2番とブルックナーの交響曲第3番。さてどうなるか。

5月9日
昨日はトリオの演奏会。大変なプログラムでしたが、やりがいがあり、勉強にもなりました。お客さんもかなり満足していただいたようでよかったです。猪間君の曲もかなりの好評でした。
演奏会終了後打ち上げ。わざわざ山形からいらしていただいたIさん、ぶんさん、猪間君、たかまるさんなど、初対面同士も多かったはずなのに、とても楽しい飲み会になりました。





5月7日
いよいよ明日室内楽の本番。これからさらいます。
今日ヤマハ池袋店でRondinoというキャップを買い占めてきました。また、オリジナル・リガチャーのページからのリンクで、「キャップについて」というページを新設しました。地方でキャップが入手しにくいという方もいらっしゃるので、ご要望にお答えしてこちらでもキャップの販売を行います。詳しくは「キャップについて」のページをご覧下さい。

5月6日
やっと平日です。合わせ最終日。曲への理解も深まり、アンサンブルも大丈夫。時間を十分に取った甲斐がありました。後は自分次第。明日みっちりさらいます。そして本番は集中!今回、特にストラヴィンスキーは集中力の勝負です。
いよいよあさってです。皆さんぜひご来場ください!

「電池が切れるまで」。何と第1回で強烈な印象を残したあの子は、第2回で死んでしまったのか。このドラマ、やはり普通のドラマではない。録画してでも見るべきであった。最後に紹介された詩もいい。「プラス思考」。今生きて笑えることが幸せなのだ。人間所詮全て感情。死ぬのが怖いというのも感情、今生きて笑えるのが幸せだと思うのも感情。どんなに他人から見て不幸に見えても、本人が幸せだと思えば幸せなのです。これは本人の感情次第。生きている間は幸せに生きよう。

5月5日
子供の日。今日は8日の演奏会の合わせ。やはり4時間半かかりました。ハチャトゥリアンは昨日の勉強の甲斐あって大分理解してきました。即興的な要素、民族音楽的な要素などを心の深い部分で受け止められるようになりました。ストラヴィンスキーは元々音楽的には理解しているのですが、やはり難しい!引っ掛け問題の連続のようでもあり、意地の悪いソルフェージュの試験のようでもあります。でも2曲ともいい曲です。後半の猪間君の曲もいいですよ!

手塚治虫は、「こんな僅か数十年の人生だけが人間の人生であるはずがない。もっと長いサイクルの一部に過ぎないはずだ。」と主張しています。確かにそう信じたくなる心情は私にも痛いほどよく分かります。実際にそうであればどんなにいいことか。ただし手塚氏は輪廻転生を信じていましたから、死ねば蝿になるか、食用の牛になるか分からない訳で、そういう意味では困るということも言えるわけですが。しかし科学が突きつける何万という事実を積み重ねれば、現代の世の中でそういうことを正気で言える人というのは、どうかしているとしか言いようがない。しかし人間は今のところ70年、80年前後の寿命で死ぬほかない。来世や輪廻転生という救いもなく、科学による不老不死も実現していない中途半端な状況の中で刻一刻と死が近づいてくる。これはある意味悲惨な状況と言えます。それでは過去の人たちが来世や輪廻転生を信じていたかというと、例えばそれではユダヤ教やキリスト教の信徒であったマーラーは、なぜあれほど自分の死を思い苦しんだのか。交響曲第9番は、彼の絶叫です。黄泉の国へ足を踏み入れたかのような音楽で始まり、そして信じられないほどのものすごいエネルギーと時間をかけて彼は悶え苦しみます。最終的には平穏が訪れますが、これはどうしようもないことに対する諦めと言えるでしょう。もし彼が天国を本心で信じていたら、こんな音楽になるはずがありません。さて、この現代をどう生きるべきか。

5月4日
すごい風でしたね。明日は雨で寒くなるとのこと。東京文化会館の視聴室で、ハチャトゥリアンのトリオのCDを聴いてきました。いろいろと探したのですがどこでも入手できず、今日やっと時間が取れて聴きに行くことが出来ました。
8日の室内楽の演奏会、皆さんぜひいらしてください!演奏会終了後交流会も予定しています。詳しくは「コンサートのお知らせ」のページをご覧下さい。

5月3日
養老猛司氏は、私と極めて近い思考をする人だ。彼の考えていることのほとんどは水のように体に入っていく。しかし今回「死の壁」を読んで、一つだけ、私のこれまでの考えを根底から覆す事実を示された。生物はシステムだ。システムは維持されるが、それを構成する物質は絶えず入れ替わっている。去年の私と今年の私は物質的にはほとんど別人だ。今自分が自分だと思っている存在は、いつの間にか数ヶ月もすれば他の人間に置き換わっている。赤ん坊の頃の自分と今の自分が同じ人間であるはずがない。ということは、いずれ歳を取って死ぬ自分は別人だ。ということは、そんなことで悩む必要はないのか。そうか、街の人たちはそういう考えなのか。これでようやく納得できた。だから、あんなに不注意に車を運転できるのだ。人を轢いて一生が台無しになる頃には自分は今の自分とは違う。だからまあいいのだ。煙草にしてもそう。何なら人を殺してもいい。どうせ死刑になるころには自分は別人になっている。うーむ、事実かどうかは別にして、これは思想としては相当危険だ。

5月2日
養老猛司の「死の壁」という本を読んでいます。あまりに読みやすすぎて今日所用で出かけた電車車内で3分の2読んでしまった。しかし読み返せば確かにそうだということは多い。要点を時間のある時にここに書こうと思っています。

購入者の声
<通常のアルトサックス用ピンクゴールド(1.8mm)と、アルトサックス用オーダーメイド(2mm)の双方をご購入の方に、両者の比較レポートを頂きました。>
1:1.8mmリガチャーの感想
非常にリードが鳴る感じです。明るく華やかで、息が全て音になる様な感じです。2.0mmと比較すると良い意味で鳴り過ぎる感じです。
2:2.0mmリガチャーの感想
非常にリードが鳴るのは1.8mmと同様ですが少し押さえられた感じです。高尾さんの仰るとおり響きが多少落ちているのかも知れません。鳴り過ぎないと言うかコントロールし易い感じがします。
個人的には2.0mmが合う様な気がします。曲によってリガチャーを変えるなんて言うのも有りかも知れません。
(高尾注:製作者としては、B♭クラリネットやアルトサックスには1.8mmをお勧めしますが、1.8mmの音色が軽く、もう少し重厚な音が欲しいと思われる方は2mmを試してみるのもいいかも知れません。ただ響きが少し落ちるため、どちらがよいということではなく好みの問題になります。)

5月1日
ついに5月でござるか。人生あっという間でござるな。

購入者の声
<ソプラノサックス用ピンクゴールドをご購入の方より>
柔らかで張りがあり高音域が滑らかでサブトーンも出し易い感じです。装着もコツが解かって問題なくできるようになりました。